誰かがやってくれる、国が守ってくれる
幻想ではなく、自分達で地域の
リハビリをつくっていくん
だという気持ちになりたな〜。
私はリハへのかかわり始めは 豊かだといわれていた
80年代の後半。
老人病院に就職したものの、あまりに 劣悪な環境や処遇に
強い憤りの中で働きはじめました。
「
介護地獄」という言葉が社会にあふれていて、
当時の老人病院はいわば、駆け込み寺的な存在でした。
ちなみに私の働くところは県内では
かなり良心的なところだったと思います。
それでも当時の環境を思い出すと胸が痛みます・・。
まるで工場のような収容場所。 流れ作業的なケア
身体抑制・・。
現実のケア・リハの現場は苦悩の連続です。
でも、いつの間にか 大きな あきらめの中に
飲み込まれていました。
ある高齢者施設の見学の際の話ですが、
目をそらしたくなる事がありました。
手すりに 動物のように縛られている人間(お年寄り)。。
「この人は何か悪いことをしたんですか?」
って 思わず聞いてしまいました。
ほんの10年前の日本。
守礼の島での出来事です。
リハビリテーションという言葉は
そんなときに新鮮に聞こえてきました。
その語源は「
その人らしさの回復」と聞かされました。
ある時期、その人らしさを 病院の中に再現してみようと
着せ替え人形のように、おしゃれをしてもらったり
みんなでピクニックに出かけたり、病院で生活する
ことにも、楽しみを持ってもらいたいと 職員も努力しました。
でも、今思うと
それは不自然な集まりだった。
自由な意思がなく、決められた
スケジュール。
私達の仕事は『管理』が仕事でした。
時代は変わり、病院より自宅で死にたい(あるいは最後まで生きた い)という 方が増えてきていると聞きます。
でも、
虐待や介護地獄による心中が大きなニュースとして取り上げら れなくなるほど、 増加しています。
10年前の施設ケアの苦悩を思い出します。しかも
いつ終わるともわからないケア・・。
最近のニュースで介護疲れで
母親を殺して自分も死のうとした息子が
裁判の証言で町の中を歩きながら、誰かに
「助けて」って声をかけたかったけど
できなかったと 発言していました。
その方の、きもちを想像すると、胸が詰まります。
地域でくらすというのは、リハスタッフが
たんに家に帰す努力をするということではなく
その方がもとの人間関係の中へ
かえっていくことだと思います。
もともと 壊れていた方に 病気や障害を負ったからと
いって帰れる家はありません。
修復のお手伝いも 必要かもしれません。
時には時間や 距離が必要で
難しい判断が求められる場面もあると。。。
地域で暮らすとは?
地域の方の関係の中に身をおくという事?
その方々の行き方を 理解する
受け入れること・
う〜ん わたしたちの仕事って???
「何かお手伝いできることは、ありませんか? 」って
いつでも声をかけてもらえる。場所、距離、姿で居ること?
わからなくなってきました。
今日はこのへんで。。
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